嫌いなものが好きになるためには
昨日友人と会ったときの何気ない話のなかで、ちょっとビビっとくることがあったのでメモとして残しておく。
その女の友人は、週末の午前中に洗濯をするのが好きとのこと。僕の中ではまさに「えっ」という感じで、最初すごく不思議だった。
というのも、僕は洗濯機を回すとあの40分くらいのウィーンと回っている時間が気になってしまう。正確に言えば、40分洗濯機を回してそのままにしておけるのなら、別に気になることもないのだが、洗濯の終わりを伝える音楽が流れてからすぐに取り込まなければいけないのが辛い。
そのままにしておくとせっかく洗った服がシワシワになって、後悔するのはハンガーに干すときであり、たたむときである。
「ああ、なんで早く洗濯機から取り出さなかったんだろう」と思う。
だからこそ、洗濯機が回っている40分の過ごし方がわからないのだ。
下手に仕事をしてノッてきてしまうと、その良い感じで進んでいる仕事をストップさせたくない。かといって部屋の掃除に40分もかかるわけでもないし、必要以上に40分もかけて掃除をしようとは思わない。
ということがあって、洗濯機を回している時間というのは僕にとってなんだかソワソワする時間だ。おそらく生活のなかで一番ソワソワしている時間かもしれない。
話を戻す。
その友人にどうして洗濯が好きなのか聞いてみると、洗濯自体が好きというのではなく、洗濯の香りが好きというのだ。なんだ、ただのにおいフェチか。
いやいや。においフェチと適当に決めつける前に、なんだその「洗濯の香り」とは。僕は洗濯の香りなるものは感じたことがない。
もう少し聞いてみると、洗濯の香り=柔軟剤の香りとのこと。洗濯機をあけたとき、部屋でハンガーにかけるとき、そういうときにいい香りを感じられるのが好きとのこと。
そのとき僕の頭のなかで音がなる感じで発見があった。
洗濯という同じことをしているのに、耐えられない僕と楽しんでいる友人。
もっと言えば、洗濯の終わりを伝える音をビクビクしながら待っている僕と、楽しみにしている友人。
ここに大きな差があった。
ということで、その香りフェチの友人にオススメの柔軟剤を教えてもらい、さっそく買って帰ってきた。これでもう洗濯が嫌いではなくなって、楽しみになる。
と、ここで思った。
結局僕が嫌いだったのは、その40分間の時間であって香りなんぞどうでもよかったのだ。
僕にとっての原因は、あくまで「待ち時間」であり、ハンガーにかけるのが嫌いとかそういうことではなかった。
なんだか解くべき課題設定を間違えたようだ。ここまで楽しみにしていた自分が一気にがっかり。ただ、これからは「香り」というマジックで、洗濯する別のモチベーションが生まれた。
ちょっと真面目に考えると、今回は課題に対して直接的な解決策ではなかったけれど、こうした「好きではないこと」に対するアプローチっておもしろいなと思った。
好きではないことっていうのも2つあって、やってみたけど好きではないこと。やっていないけど好きじゃないだろうなということ。
後者については、とにかくやってみること。やってみると好きになることはたくさんある。仕事をしていてもそう。
やってみたけど好きではないこと。これはさらにわけられて、やらないといけないことと、やらなくても良いこと。
やらないといけないけれど、好きではないことに関しては、我慢してやるのもあるし、楽しめる方法をみつけることもある。どちらかといえば、ハックして楽しめる方法をみつけていきたいと個人的に思う。楽しめる方法を探すことを楽しむ、でも十分楽しめるんだと思う。
なんだか締まらない感じだが、洗濯からそんなことを思った、というお話。