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ワークキャピタルという会社をやってます。by 菊岡翔太

ダボス会議でのジャック・マー対談内容(2/3)

ジャック・マーのダボス会議での対談の続きを記載します。

ここからは参加者との質疑応答。動画では21:05くらいのところから。

それではどうぞ! 

 

 

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■Q.(参加者): 今の時代、社会貢献の役割はどう変わっていると思いますか?

 

A.(ジャック・マー): 確かに役割は変わってきている。

ただだれかためになるのではなく、それは自分自身のためでもある。

 

以前、中国や日本で地震があり、会社の中でも大きな議論になったことがある。

その時に私たちは日本に200万円くらいの寄付をした。150万円くらいの寄付を中国にした。

なぜ寄付をするのに、それだけの少ない額しか寄付をしないのかと言う人がいた。なぜなら私たちは大きなお金を稼いでいたから、やるのであれば大きな額にするべきだと言った。

私が思っているのは、何億円、何十億円もの寄付をしようが、それは全体にとってみたらほんの一部でしかない。

ただし少額であろうが、寄付をすること自体で大切で、その行動によって自分たちが変わることができる。

自分たちが変われば、世界が変わる。

だからこそ、まず自分たちを変えなければいけない。

 

社会貢献とは、ただ単にお金を与えることだけではない。

行動すること、参加すること、人々の意識を高めて起き上がらせることに意味がある。

 

そして私自身も、この場所自体が社会貢献と思っている。

ダボス会議に呼んでもらって、多くの著名人の話を聞いた。それで自分を成長させることができた。

そして今、私は若い人たちに出来る限り話しかけている。その時のお返しをするためにだ。

 

慈善では決して世界をかえることはできない。

社会貢献の心をもつことが大切である。

 

ここにいるみなさんはビジネスの考えを多く持っている方が多い。

従業員と長く一緒に事業をしたいのなら、「種」を植えなければいけない。

その種とは、社会を手助けするという意識をもつことであり、他の人を手助けするという意識である。

後からではなく、最初からそうした考えを組織に入れなければいけない。

 

 

■Q.(参加者): あなたが小さい子どものときに、今のような成功を見通していましたか?もしそうであれば、成功するために信念は大事だと思いますか?

 

A.(ジャック・マー): 小さい子どものときに今のようなことは、決して予測できたものではなかった。

そして、今でも私がここにいることは信じられないことである。

 

私は本当に何度も失敗した。30もの仕事に落ちた。

24人がKFCの仕事に応募したとき、23人が受かり、私だけが落とされた。

5人が警察の仕事に応募したが、4人が受かり、私だけが落とされた。

従兄弟と一緒にホテルでの仕事を受けに行って、2時間待たされて、結局従兄弟は受かって、私は落ちた。

 

ただこうしたことは私にとって、自分自身にとっての訓練であった。

30歳になるころには、私は文字通り失敗した人間だった。

だけれど、私は決して諦めなかった。

 

大学を卒業してから、6年間大学の先生をやった。その時に教えていたことは主に本から学んだことだった。

その時は本からの知識だったけれど、むこう10年間で私自身がいろいろな経験をして、成功も失敗も経験して、その上で先生に戻ったらどうなるか。もっと良い先生になれるのではないか。

それが私にとって、アリババをスタートしたときの最初の考えだった。

 

お金持ちになろうとか、成功しようとか、思ったことは一度もなかった。

ただ18年間必死に生き残っていこうと思ってきた。

 

そして、私自身今やることは、経験やノウハウを共有することである。特に失敗を共有することだ。

みなさんに言いたいのは、成功から学ぶのではなく、失敗から学んでほしいということ。なぜなら、成功はいろいろな要素が組み合わなければできない。

 

2000年頃、ハーバードビジネスレビューケーススタディとして取り上げられたが、そのときは競合が勝ち、アリババが負けると言われていた。

だけれどそれは逆になり、競合全てがいなくなり、私たちが残った。

失敗から学ぶべきだ。失敗から学んでいると、困難なときに直面したときにあなたはどう対処すべきかがわかっているからだ。

もし将来本を書く時期がきたら、私はアリババ1001の間違いという本を書きたい。

間違いがこそが重要だ。

 

 

■Q.(参加者) あなた自身、研究に多くのお金を投資しているが、人間や創造性にどう影響すると考えるか?

 

A.(ジャック・マー):その通りで、会社としてハイテクな研究に多くの資金を投入している。

一方、私はAIビッグデータが人間の脅威となるという議論は好きではない。

蒸気機関、車がきたときも、最初は人間はそうした新しいものを嫌っていた。

私たちはテクノロジーを活用して、人がやれることを増やしていき、人をエンパワメントしていきたい。

 

AIは良いものである。

コンピューターは常に人よりも、頭が良い(smartだ)。

ただしコンピューターは人間よりも賢く(wise)はなれない。

頭が良い(smartな)人は、他の人が見えていないものを見える。

賢い(wiseな)人は、それが見えても、見えていないように振る舞う。

 

頭が良い(smartな)人は、人が何をほしいかがわかる。

賢い(wiseな)人は、何がほしくないかがわかる。

知恵がある人は、これがほしくないという言葉から、本当は何を欲しているかがわかる。

私たちは人間をサポートすることに投資をしている。これはアリババをサポートするためではない。人間をサポートするためのもので、世界中にオープンなものとしている。

 

 

■Q.(参加者): リーダーとして心から感じることをやっているのか。もしくは心と理性を同時に入れて、意思決定をしているのか。

 

A.(ジャック・マー):まず第一に、直感が最初である。

そして第二に、訓練する必要がある。辛い体験から学び訓練をしていく。ただそうした辛い中でも、常にポジティブであるべきだ。

私自身偉大なリーダーに多く会ってきたが、彼らは常にポジティブで、人の不満を言わない。そして一般の人とは異なった見方をしている。

私の会社の最初の頃、従業員みな私のことが好きではなかった。なぜなら、私はいつも5年後、10年後の話をするから。

3年から5年一緒に働いたときに、みなが変わっていき、私の考えは正しいと言われるようになってきた。

 

CEOとして大切なこと。私は、みなが良い状態でハッピーなときに、良くないものを見つめている。逆のことを見ている。

リーダーシップは生まれ持ったものではあるが、訓練していくことができる。

私自身もリーダーシップ能力を、ここダボス会議で伸ばすことができている。

 

実は、アリペイを始める際の決定はこのダボス会議で決めた。

中国では当時、ライセンスなしで金融を始めることは監獄行きを意味していた。

Eコマースのトランザクションを手伝ってくれないかと銀行に掛け合ったが、どこも許可しなかった。

だけれどEコマースにおいて、このお金のトランザクションの問題を解決しなければ、発展できないことは明白だった。

 

2004年、私はここダボスでリーダーシップの話を聞いた。

ある人が、リーダーシップとは責任であるということを言っていた。

あなたが信じていることに他の人が信じていないとしても、その思っていることが決定的に重要なものであるなら、いくら払ってもやりなさい、と。

私はその後すぐに会社に電話をかけて、アリペイを1ヶ月以内にリリースさせようと言った。

そのときに次のことも話をした。

もしだれか一人が監獄に行かなければならないとしたら、私が行く。次に続くのは誰だと聞いた。私が監獄に行ったら、次の者がやるんだ。その者が監獄に行ったらその次の人が続けるんだ、と。

そして、今アリペイは8億人に使われるまでに成長した。

 

■Q.(参加者): 始めたばかりの頃どうやって会社を育て、宣伝したか?

 

A.(ジャック・マー): 18人の創業者と一緒に始められて私は幸運だった。

その時に、私たちは本当に多くのビデオを撮った。

最初のミーティングも撮影していたし、未だにとてもたくさんのビデオテープが残っている。

私は最初のビデオで2時間話していたが、皆ぽかんと口を開けていた。(笑)

 

なぜそうしたことをしたのか。

それは、失敗しても成功しても、将来だれかに見せられると思ったからだ。共有したいと思ったからだ。

 

当時、私はテクノロジーを知らないし、マネジメントも知らない。

私が大切にしていたことは、自分よりも賢い人を集めるということだった。

そして賢い人間が増えてきて、次に私の仕事としたことは、そうした賢い人間が一緒に働けるように調整したことである。ビジョンがしっかりとしていれば、賢い人間が一緒に働ける。賢い人間が働くと勝手に発展していく。

賢くない人間が一緒に働くのは簡単だ。賢い人間は他の人と一緒に働きたがらないからだ。(笑)

 

私は長期的なビジョンと短期的なことの二つを大切にした。

どんなに優れたビジョンをもっていても、存続できなければ意味がない。

 

会社を宣伝するために大事なのは、私自身ではない。

プロダクトであり、カルチャーであり、従業員である。

特に従業員は自分の会社のカルチャーを語る人間である。

従業員の最初の2000人までは、私は全ての人に話をした。